「推し」のいない人生を歩んできたもので
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オタクも舞台も何もかもド新規ですがよろしくお願いします!
標記のとおりです。
今までオタ活というものをしたことがないので、「推し」という言葉自体よく理解していないんだけど。
たとえば、私は各漫画で一番好きなキャラはこれ!というのがいればいいほうで、キャラの人数が多いと大体一人にしぼれない。
さらに飽きっぽいので、特に好きなキャラ数人がいてそのときの気分で他のキャラも好きな時期があって…という感じが多い。
まったく関係ない界隈で長年好きな人(推しと呼んでもよいだろう)はいるけど、毎日毎日ある程度の熱量を持っているわけではない。
年に数回動向を確認する…というのが何年もつづいた時期もあるくらい。
そのくらいの熱量で生きている。
で、今気になる若手俳優業界
私はまだまだまだまだ詳しくないのだけど、少なくとも私の持つ熱量では毎回遠征して舞台観たりイベントに参加したい!どころか、手紙を書きたいとかリプライしたい!という気持ちにさえならない。
逆にそういう気持ちになれば推しができたと言ってもいいのかなあ。
もちろんひとりひとり推し事の形は違うのだろうけど、私の中では手紙を書くとかリプライするっていうのは1つの基準ではある。
私の中では確固たる金銭感覚というのもあって、お金をかける程度も線引きしている。
推し事の足枷、というか私は憧れの対象にはある程度の綺麗さを求めてしまうので、カレバノとかグズバレは確実に落ち込む。
結婚するなら別だけど彼女は隠してほしいかなと思う。
でも、そういう状況になったときにお金の使い方を振り返って「私はここまでしか推していない」という予防線をはる…というまでが本当の狙いかもしれない。
ただ、自分があと半年後に死ぬとしたら絶対に手紙たくさん書くし現場もたくさん入れるだろうし、きっと貯金も使い果たす、後悔しないように。
つまり、今の私はある程度の後悔はしてるし、逆に言えば推し事に対してある程度のやらなかった、行かなかったという後悔は許容できるのかもしれない。
後悔と引き換えにお金とかもしものとき(カレバノグズバレ等)のメンタルの安定を得たいのだと思う。
まあ、そんなこと関係ねえええええ!!!!!って思える方と出会えたら本当に本当の推しができたって胸をはって言えるのかな。