木兎光太郎は最強の雄である
自分の動物的本能を感じることはないだろうか。
私は自分の奥底に動物的本能があると信じている。
理由は単純、人生で二度、ふとしたことが原因で自分の動物的本能を感じたから。
一度目は海外でのあるものをみたとき、自分にも野性で生きるための最低限の本能があるのでは?と気づいた
二度目は先日。ベッドの上で漫画を読んでいたとき
ハイキュー!!37巻
木兎光太郎の胸でのレシーブ
前に出すぎた木兎光太郎がとっさの判断で胸でレシーブをするのだが、私はこれを見た瞬間に人生で初めて「この男に守られたい!」と思った。
より感覚的に書くと、守られたいと思ったというよりも体が
「この雄だ!この雄こそ、お前を守ってくれるぞ!!」
と私に教えてくれた。
ここでいう「守る」とは社会的地位があったり金銭に困らないから守らている、ということではなく、いざ自分の命や身体が危険に侵されているときに守ってくれるということ。
現代の日本で生きていれば日常的に命の危険を感じることなどはほぼない。
それにもかかわらず、彼は守ってくれる、それなら守られたい!
と日常生活で不要と思われる守られるという行為を強く意識させられた。
野性動物なら守ってくれる雄は何よりも重要なのだろうけど、私は現代日本に生きてる人間だよ??
命を守ってくれるなんて普段考えないよ?
わたしゃサバンナに生きる動物か??
冷静になったあとに戸惑った。
もちろん、こんなにも野性的な、動物的な感覚で男性を見たことはない。
性格がいいとか職業は何だろうとか顔がかっこいいとか…そういうことを考えてきた。
しかし、本当に野性に投げ出されたら優しくてもおもしろくても社会的地位があっても人間界でかっこよくてもたぶん何も役に立たない。
第一に必要なのはきっと強い体。
現代社会に順応しすぎるほど順応している人間だからか??どちらかといえばやせ形の人の方が好きだった。
でも、奥底にある動物としての本能が木兎光太郎を見て、強い雄、強い体を見せつけられて呼び覚まされたんだろうなと思う。
では、そもそもなぜあのシーンでここまで野性的な、動物的な感覚が沸き起こったのか。
!以下、唐突ですがコナンの劇場版「水平線上の陰謀」のネタバレになります!
水平線上の陰謀で犯人の性別に関する推理のひとつに「狭い通路で人とすれ違うとき、女性は相手に背を向けてすれ違う。
なぜなら女性は無意識のうちに胸を守るから」というものがあった。
これこそ木兎光太郎に雄を感じた理由の根底にある考えだ。
つまり、女性が胸でのレシーブをするには男性よりも意識レベルで圧倒的にハードルが高い
しかしそれをとっさにやる木兎光太郎は女から程遠い、まぎれもない男、強い雄の体を持っている…という事実をつきつけられたからだ
…と自ら結論づけた。
体をはって女にはなかなかできない芸当を体をする、それって強い雄の象徴じゃないの。
私にとって、胸レシーブをする木兎光太郎はまさに雌ではない、完全に雄なんだな。
若干頭の中で頭筋キャラはちょっとね~なんて思っていたけど、あの試合を通じて木兎さん本当にかっこよかったなーと。
先輩としても上司としても男性としてもよさそうだけど、たぶん自然界の中で生き残り競争を強いられたときこそ彼は本領を発揮するんだろうなと思っている。